ほとんどの国が外貨不足だったので、完成車の輸入はできない。
だからまず、国産化政策の第一歩は完成車の輸入を閉め出し、いわゆる輸入代替の国産化政策をとることである。
とはいうものの、それぞれの国が、個別に国産化を進めようとすれば、技術移転に不可欠な熟練工や工場の生産エンジニアが不足しているから、そうした人材をゼロから育てるという、想像を絶する困難な仕事を、まさに手取り足取りでやっていかなければならない。
こういった手間のかかる仕事を、まさに地を這うように苦労に苦労を重ねて忍耐強くやれるのは、戦前戦後と同じような苦労を重ねた日本の自動車メーカーと、その現場従業員しかいない。
したがってSKD(セミノックダウン生産)、KD(ノックダウン生産)、CKD(コンプリートノックダウン生産)と進む技術移転も決して生易しいものではなかった。
さらには、各国バラバラの国産化政策にも多くの問題があった。
とくに国産化政策のシナリオ作りをやるのは、これらの国々の若手エリート官僚だが、彼らは安易にもデスクプASEAN4カ国の自動車生産と新車登録(出所)r自動車年鑑2008-2009年版J(日刊自動車新聞社)JJタ新興国市場で自動車メーカーは復活できるか?ランの作成だけで技術移転を考え、自ら現場・現物で知ろうとしない傾向がある。
そして最新の設備さえもってくれば、国産化は進むと考えがちである。
このような各国バラバラの国産化政策には、すぐ直面する困難がある。
それは何よりも、限られた生産規模や部品の輸入関税などが統一されていないために発生するコストペナルティの問題だ。
つまり、これでは国産化率を上げようとしてもかえってコストが高くなり、自由貿易で輸入する場合の3倍、4倍もの高コストがつきまとう。
そこで浮上したのが、ASEANコンプリメンテーション(補完分業)の構想だった。
この構想では、自動車の国産化をひとつの国だけでフルセットで進めようとすると、規模の不経済のために、かえってコスト高になる。
そこで、例えばシリンダーブロックはある国、例えばインドネシアでまとめて作り、プレス部品のある物はタイならばタイで作って相互に補完するというものである。
こうしたASEAN域内国際分業の基本構想は、初期にあたる1970年代境はデスクプランであり、かならずLも有効に機能しなかった。
そして各国の国産化政策も、国によって奨励する車種が違って、例えばマレーシアが乗用車中心、タイやインドネシアがピックアップと二蘭車というように不揃いのままに進んでいくと、城内補完分業は建前上は賛成でも、各論になるといろいろと対立が起こってくる。
とくにエンジンパワートレーン関係の高度機能部品は、どこの国も他の国に委せるより自分の国でやりたいと主張することが多い。
しかし、紆余曲折はありながらも、ASEAN諸国での国産化政策は、日本の各自動車メーカーの協力で技術移転も進んでくると、この城内補完分業が、より現実対応型になってくる。
現われるように、特定メーカーの車種ごとの補完分業の動きであり、これなら、従来は分業に入れてもらえなかった部品メーカーも、補完分業の恩恵にあずかることができる。
さらに、この動きを加速するものとして。
部品とアッセンブラー、さらには関連産業を包括する城内国際分業構想にまで進もうとしていた。
そしてこの構想は、AFTA(ASEANFreeTradeArea)の域内自由貿易体制にリンクするはずであった。
ところが、1997年のアジア金融危機と、その前後に起こった経済のグローバル化によって様相は一変する。
経済のグローバル化は、とくに金融と資本の移動制限の撤廃をもたらし、貿易の自由化を促進することになった。
そうなると、事実上、ASEANだけの域内補完分業は成り立たなくなる。
しかし、そうはいっても、国によってアジア金融危機に対する対応は違ってくることになり、マレーシアのように国内経済秩序の安定を優先し、新興国市場で自動車メーカーは復活できるか?グローバル自由化を受け入れず、通貨の交換性をも否定して国内経済を守ろうとした国もある。
タイはなぜASEAN最大の輸出国になったか?これに対して、タイのようにIMFの勧告を受け入れ、国民経済の思い切ったリストラ―財政の健全化と金融の引き締め、民間事業のリストラなど痛みをともなう経済政策-に踏み切った国もある。
その結果、タイでは年間60万台に拡大していた自動車生産が3分の1以下に縮小し、関連産業を含めて大量の失業者が出て、この不況から回復するのに3年かかった。
しかし長期的に見た場合、タイはASEAN諸国の中で一番自動車産業と部品産業が集積する国となり、自動車の最大の輸出国となった。
まず97年危機に際し、日本の自動車メーカーは工場閉鎖や人月削減など痛みをともなうリストラをやりながらも、他方で将来有用な人材については、日本での現場研修や一種のワークシェアリングでこれを確保しつつ、それまでの戦略の大転換をはかった。
その大転換とは、97年危機までは、国産化政策の延長線上にタイの国内市場だけを相手とする、まさにローカルな自動車産業だったのが、国境と地域を超えたグローバル国際分業に参加し、タイの重要輸出産業となっていくことである。
つまり97年以前は、タイの自動車産業は、そのほとんどが日本の自動車メーカーの協力によって国産化を進めたが、その主たる市場は国内が中心で、輸出競争力はほとんどなかった。
ところが、タイの97年危機で国内市場が縮小し、他方、通貨バーツの相場が安くなったため、本格的な輸出に乗り出し、いやでも品質レベルを上げなければならなくなった。
そこで、域内国際分業だけでなく、FTAを結んだ域外の諸国とも分業の関係を広げ、グローバル国際分業に参加する戦略をとるに至ったのである。
こうしたなか、タイの日系自動車メーカーは、ASEAN域内での国際分業も活用しつつ、域外のFTA締結国、例えばオーストラリアやインド、そして台湾などと国境を超えたグローバル国際分業に乗り出し、タイを重要輸出基地とするようになった。
そのため、以前まではCKDを主体とする国産化協力だったのが、現地工場の製造能力を強化し、一番難しいとされていたエンジンパワートレーンの生産能力の増強で、タイ現地企業の自立化に踏み切ったのである。
例えば、タイホンダは現地の開発センターを強化し、輸出を強化するために第2工場を建設し、タイトヨタは、サムロン工場を中核とするグローバル車。
それ以前、トヨタはソル新興国市場で自動車メーカーは衝活できるか、ホンダはシティとアジアカーと名をつけてタイを中心に生産していたが、これらのモデルはローコストだけにこだわったもので、以前日本で生産していた旧モデルの流用にすぎなかった。
それに対して、ホンダは現地化モデルとしてジャズ(フィットの派生モデル)を投入し、トヨタのIMVに至っては、タイトヨタのタイ人エンジニアを企画段階から積極的に参画させていた。
とくにIMVは、日本では作っていないピックアップトラックとその派生車で、10カ国以上の生産拠点で生産し、タイ、インドネシア、フィリピン、インド、アルゼンチン、マレーシア、南アフリカ、ベネズエラ、ベトナム、台湾、パキスタンの各国で生産し、07年には全世界で70万台余りを生産している(左頁表参照)。
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